やってから考える、外国人との対面コミュニケーションと勉強の関係

おはようございます。

約2か月ほど毎日 タイ語を30分勉強するルールにしているんですが、毎日するのがなかなかつらいです。30分だけなんですけど長くて、ちなみに読み書きをすればするほど今までなんか変な喋り方してたなーとか発音がとかっていうのが気になってきます。

やる中で思うのですが、順番としてはやっぱり聞いたり話したりするのを先にやって良かったなっていう風に思います、なぜかと言うと実際に現地で対面している相手と分かり合える 分かり合おうとすることができるからです。

正しく話せるのにこしたことはないんですが完璧なんていつになるからわからないし、正しいから相手に伝わるとも限らないし、できないからこそ、完璧でないからこそ、わからない単語は英語も交えて話をしなくちゃいけないからこそ、思いを尽くして相手に伝わるまでやるっていう 経験、心構えをつくれてきたのだと思います。


自分が正しいことを言っていると思っていても 相手がわからない場合があります

正しいことを勉強すれば伝わるかって言ったらそういうわけじゃなく相手が伝わってる顔をするまで いろんな言葉を使って話していく経験が必要です。

逆に相手が言ってることが仮に正しかったとしてもわからない場合が結構あるんですよね、その場合は素直にわからないって言って こちらが理解できるまで聞くということが大事かなと思いますし、それが誠実なコミュニケーションだし外国人同士が一緒になにかを作り上げるための礼儀かなと思います。

意外と それが難しいですね。結構頑張ってお互いに補完しないとなん 盛り上がらないみたいな部分もあって。英語とかタイ語か関係なくお互いが理解するまでコモンセンス、共通認識を取るまでやらないと結局なんかあんまり意味ないんで、理解できるまで 伝えなくちゃいけない しこちらが理解できるまで 聞かなくちゃいけないだなと思います。ここはタイなのでタイ語であれば理想ですが、タイのリスペクトのタイ語を利用しながら共通言語である英語で代替して。

ちなみに対面コミュニケーションはテクノロジーでは代替できないと私は思います。人、機械を介さないで、直接お互いに話し合うことで熱量が伝わり、誠実さが伝わり、信頼感が生まれてくる。そう思います。人間ですから。例えばzoomで会うのと、実際会うのどっちが相手のことがわかり信頼関係ができますか?と聞かれた場合は自明の理かなと思います

なんかそれをやり続けることが海外で単純にやることなのかなっていう風に改めて なんか思ったりします。全然うまくできないですけどね。

もちろん 勉強も大事ですし 毎日より正しいこととか的確なことが言えるように学ぶ必要ってのはあるんですけど、勉強だけしてもしょうがないんですよね。正しくなるゴールってないんで・・あー長い道のり・・

毎日勉強しながら自分の成長をなかなか自覚できず、いつが完璧なんだろ・・さー終わったら!と思って行動するよりもトライ&エラー。トライしたりわかりあえたことの感謝と感動をもって、さらにバージョンアップするために学ぶ。そうしたいですよねと自分にリマインド。

語学って終わりないし、いきなり成長することなんてないので手ごたえを感じない形で毎日ちょびちょびやってます。このくらい文書化して自分を鼓舞しないとすぐ勉強するのやめちゃいそうです泣

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