12/21発売の山口周さんのビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す を買って読みました。共感しました。下記一部参照です

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか?
これが本書執筆のきっかけとなった私の疑問です。つまり、本書は、この疑問に対する様々な角度からの考察の結果を記したもの、ということになります。
このような大きな問いに拙速に答えることは危険だということを承知したうえで、最初に結論を述べれば
答えはイエス。ビジネスはその歴史的使命を終えつつある。ということになると思います
本書で後ほど示す様々なデータは、私たちが過去200年にわたって連綿と続けてきた「経済とテクノロジーの力によって物質的貧困を社会からなくす」というミッションがすでに終了していることを示しています。この状況は昨今低成長、停滞、衰退というネガティブな言葉で表現されていますが、これは何ら悲しむべき状況ではありません。古代以来、私たち人類は常に生存を脅かされることのない物質的社会基盤の整備という宿題をかかえていたわけですから、現在の状況はそれがやっと達成されたいうなれば祝祭の高原とでも表現されるべき状況です。21世紀の私たちに課せられた仕事はこの世界を安全で便利で快適な(だけの)世界から真に豊かで生きるに値する社会へと変性させることにあります。

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す 山口 周 | 2020/12/21

38歳になり、というかその前から気づいている人は気づいているかもしれませんが、物事には2面性も3面性もあり、一つの事柄に対して正しい回答はひとつではありません。なので自分がこれだ!と学んで信じてきたことが、他の人からしたらあっさりと「それは違う、なぜなら」と論破されてしまったりする。その時に「いやいやおれはこう学んでるし、これが正しい!」ということは学者の世界とか研究の世界でない限りは意味がないと思います、もはやどちらも正解だし、どちらの意見も正しいとされている根拠があるし。

お互いに何かを創り上げたり、なにかをやろうとしているなら別です、会社とか、ビジネスとか。だけど日々の生活の中で、それをすべて押し付けたり、押し付けられたり、すり合わせたりして価値観を共有することはできません。

と最近考えています。きっと私は人から押し付けられるのを嫌いながらも押し付ける側だったのでしょう、また多くを学んでいる気になっていて、自分が正しい解を持っていると思い込んでいたのでしょう。それは会計という、一部の専門的で正しい答えを求められる主に仕事と呼ばれるケースでは通用しますが、世の中で得られる多くの情報はそうではありません。特に心理的なもの、好き嫌いが関係するものはそうではありません。

なぜこれを書いたか?ストレスを感じます!とかそういう意味ではないんです。「正しいものなんて人それぞれで、何を信じるか、何が正しいと思って高揚感を感じるのはこれも人それぞれだから勝手でいい。自分で好きで楽しむ」そのようなことにようやくたどり着いた気がするからです。いままで何かを行動しようとするときは常に何かとの対比、〇はここがだめだから私の選んだ●は素晴らしい。〇はみんないいというけどここが違う。みたいな比較思考、自己肯定をするような思考、口癖に無意識になっていた気がするんです。結果的に●を選ぶんだから、●が好きでいいじゃないですか?人それぞれなんだし。

そう思えた、昨今。自分への戒めと、思考の寄り道というロスをなくして、好きなものにフォーカスするということ、無意識でやってしまうことを書いていくこと、それは大事かなと。あと好きも変わっていくから、好きも自分の心に常に正直にupdate。ミーハーな自分も肯定していく。

年末です。2020年、今年心境に大きな変化がありました。心境の変化はいままでやってきたこと、考えたことを変えるのではなく、自分に不必要な憧れや妬み、比較、思考の寄り道を手放した。そんな気分です。ちなみに手放すを英語で翻訳するとなんになるんだろう?となんの気なしに検索したら、Let it goでした。アナ雪?と思いましたが。そうらしい。手放して、ありのままに気楽に。

Let it goからのLet it be。2020年あとちょっと。

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