海外で仕事をやる表層的な理由は変わるけど根本は変わらない

海外で仕事をはじめようとしたとき、自分の中にあったのは日本でだけ一生仕事をすることになることへの危機感、英語を話して過ごすことへの憧れでした。何回も来て楽しいタイで過ごしてみたいという思いも経ました。

でも、最近思う根本にあることは、「日本とは全く異なる海外にいることが単純に楽しくて、知らないことばかりでワクワクする」ということでした。

難しいことを考えれば論理的な理由、キャリアとしての云々、行動しなければいけないという危機感などもあるのですが、それだけではもしかしたら足りないのかもしれない。だって、理由を考えた時にもしかしたらやらされている感が出てきてしまうかもしれないから。

でも、そのことを考えすぎないで、論理的でも直観的でも、行動を起こせばそれが自分にとって深く入っていることなのか、またはとりあえずミーハーでやってみたいと思ったことなのかがわかると思います。私も海外にはとんとご縁がなかったのですが、実際に旅行してみて、住んでみて、いまでもワクワクがとまりません。世界じゅうまだまだたくさんある国のことを思うと、無限の未知、経験の宝庫を想像することが楽しいです。

人それぞれなんですけどね。人それぞれ、純粋・素直・まっすぐ、なぜ?というのが意外と年齢が上がってくると難しいようです。考えるより行動、”知行合一”最近行動を先にしている20代の人たちをみると嬉しくて、話していて可能性にワクワクします。ワクワクとともに自分ができることがなにかできると嬉しくなります。海外に興味があり行動できる人はとても少数。それは私がきてからいままで6年たちましたが変わりません、変わる兆候すらありません。でもそれは悪いことではなく、人それぞれ。ワクワクしたい、楽しく生きたい、心にしたがったら海外だった。そんなシンプルで多数ではない人と過ごしたいなと日々思っています。

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