海外に挑戦することが異才なら、異才を目指せる

天才はわかる。異才とはあまり使わないのでなんなのか?と調べてみた。
人並みでないすぐれた才能。また、その持ち主。「音楽界の異才」
https://kotobank.jp/word/%E7%95%B0%E6%89%8D-431766

すごいということなのか?本文中に下記記載があった。
“一見するときゃぴきゃぴした普通の女子大学生です。それがわずか2人で起業して、既にベトナムに住むことを決めた。何より、人生の目線が高い。高い志で生きている。
発展途上国に役立ちたいという気持ちもそうです。またそこに至る発想にも、飛び抜けた構想力があるように感じました。”

この構想力を天才でなく、異才と呼んでいるのかもしれません。
ただ、私が感じたのは挑戦する心があって、それが海外だと挑戦しやすいのでは?という感覚を受けました。そこに皆が驚いている、自分のポジションから評価しているような。
世界を変える才能があり、それを日本にいても、どこにいてもできるのが天才、だとしたら、異才はそれを現場に行き、最前線で戦う挑戦心を含めて初めて実現できる人。

どちらにしても世界を変えるなら、天才はそんなに多くはいないのだから、異才を探そう。そして異才が天才と比較すると人より飛び抜けて才能があるとハードルをあげすぎないで、異才になりたい人を増やそう。

海外で何かやることは特別なことではないです。大きな志がないと踏み出せないものでもないです。もちろん、大きな志があるに越したことはないですが、まず体を持ってきて、現地を肌で感じてやってみる。要は挑戦する心ですよね。それだけあればいい。体があれば実現できる、異才は。上記はそれを半分物語っています。

なんにせよ、海外という切り口、世界でという切り口は、圧倒的な実力でなく、行動力でカバーできるという事実。日本人の基本ポテンシャルならという意見。
と熱くなってしまった。本文中の松岡さんは自分と同じBBT大学にいっていたということで単純に嬉しくて興奮しました。大前さんも嬉しいだろうな。

記事元:【佐藤康博】ノーミス社会は限界だ。エリートより「異才」を応援しよう

URL:https://newspicks.com/news/3022565?ref=user_283854&u=8G4oBM

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