読書時のメモを見返して、記載して再度内容を噛みしめてみる。

会計、内部統制の本質を説く本。多くの現場でこの言葉を念頭に置いて、時に引用して、発言、仕事をしてきました。発言した言葉は自らの血肉となり、稲盛和夫という人間の思考を体におとし、結果として次世代につなげることになる。

稲森和夫の実学 ~経営と会計~ 稲森和夫
会計は「現代経営の中枢」をなすものであると考えるようになった。
数字は、飛行機の操縦席にあるコックピットのメーターの数値に匹敵するものであり、経営者をして目標にまで正しく到達させるためのインジケーターの役割を果たさなくてはならないからである。


私が知りたかったのは、会計や税務の教科書的な説明ではなく、会計の本質とそこに働く原理なのだが、経理の担当者からは、そのような答えは往々にして得ることができなかった。だから、私は、「会計的にはこのようになる」と言われても、「それはなぜか?」と納得できるまで質問を重ねていた。
何事においても、物事の本質までさかのぼろうとはせず、ただ常識とされていることにそのまま従えば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなる。また、とりあえず人と同じことをする方が何かとさしさわりもないであろう。このような考え方が経営者に少しでもあれば、私の言う原理原則による経営にはならない。


われわれを取り巻く世界は一見複雑に見えるが、本来原理原則に基づいた「シンプル」なものが投影されて複雑に映し出されているものでしかない。これは企業経営でも同じである。会計の分野では、複雑そうに見える会社経営の実態を数字によってきわめて単純に表現することによって、その本当の姿を映しだそうとしている。


その部門の売上、経費の内容をみていくと、ひとつの物語のようにその部門の実態がわかってくる。
人の心は大変大きな力を持っているが、ふとしたはずみで過ちを犯してしまうというような弱い面も持っている。人の心をベースにして経営していくなら、この人の心が持つ弱さから社員を守るという思いも必要である。これがダブルチェックシステムをはじめた動機である。だから、これは人間不信や性悪説を背景としてモノでは決してなく、底に流れているものは、むしろ人間に対する愛情であり、人に間違いを起こさせてはならないという信念である。保護システムは厳しければ、厳しいほど、実は人間に対し親切なシステムなのである。
「ダブルチェックの原則」を間違いの発見やその防止のためのテクニックであると考える人もいるかもしれない。しかし、本当は、社員が罪をつくることを未然に防ぎながら緊張感のあるきびきびとして職場の雰囲気がそれによって醸し出されるのである。ダブルチェックの原則は金額の大小にかかわらず必ず守らせる。これは経理の鉄則である。一見当たり前のことであるが、当たり前のことを確実に守らせることこそが実際には難しく、それだけに大切にすべきことなのである。

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