文に心が表れる、だから文で残す

瞑想を習慣として取り入れました。

前はなにか目的を持って瞑想に取り組まなきゃと思っていました。自分へ何か課していたように思います。なにかを得ようとしていたと思います。

 

直近ゆるーく、何の目的もなくやっていると

いかに自分が目的として近視眼的なものを持っていたのか気づくことがあります。新しいもの、たまたまご縁があったものを、なんの考慮もせずになんとなくやる、それがあまり好きでもないのに。

 

また自分が好きなことに多くの時間を使えていないような気がしてきました。東京にいるときよりはずっと素直にすごしていますが、それでもよりいっそう高められる気がしてきました。

 

周りの目を気にしてる自分がいました。それも必要だよという意見もあると思いますが、ほとんどの人のその意見は気にしすぎている人たちからの意見だったように思います。まずゼロリセットからスタート

 

他人との競争、差別化を意識しすぎて、大きなことを学ぶ年長者を探していなかったような気がします。師という人を見つけたいとも思ってきました。

 

そんな気分。

文に心は表れる。

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