文を書くという行為は非常にインテリジェンスな行為である。なぜなら、自分の考え方をまとめ、文という形で表現して、人の目に触れるレベルまで達しているか自分の中で確認するプロセスを経ているからである。

 

と文を書くことについてまじめに考えてみています。どんな形であれ文をそして、それを最終的に販売する行為になっている本、書籍、その他有料執筆業務をやられている方はすごいなと思います。

インターネットで無料が当たり前になる中で有料というものの価値がまた高まったと個人的には逆説的に思います。

 

それと文、情報は基本的にはフリーの立ち居地にいる人しか発信はできません。できないというか思考のブロック、組織の同調圧力があり、大きな組織にいるトップ以外の人はあまりやろうと思わないのでしょう。なので、これもまた逆説的ですが、発信している人が一番すごいかはわからないんです、そのジャンルで。単に発信している、そこからドライブがかかりどんどん情報が集まり、より第一人者になっていったりもするんです。そのような意味で発信をするという人は限定され、かつフリーであれば容易に挑戦可能で、自分の見直し、鍛錬にもなる。

 

いいことですよね。そんなことを考えながら、毎日アウトプットを続けています。私はそんなひとつひとつの意味を考えられないと続けられない理屈っぽい部分があります

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