最近も相変わらず見ているNijiU、半年遅れで絵に書いたようにはまっているミーハーの自分。前もこのような話は書きましたが、NijiU見ている人の中ではJYParkの人材育成について論じている人も多いですよね。なぜそんなにNijiU、JY Parkが礼賛されているのか?ここにJYPの壮大で緻密なロジックとマーケティングプランがあると感じます。NijiUはまーなんとなくわかりますよね。何も持たない少女が、努力・成長していく過程を見て応援していく。

そしてJY Park、私は一番の共感を呼んでいるポイントはシンプルにJYPがこのプロジェクトのために日本語を学んだ、そして随時でその学んだ日本語を披露しているという事実だと思います。それは意図的に組み込まれたストーリーであり魅せ方であるとは思いますが、この言葉を学んで、それを使っていくという方法が、日本の文化をリスペクト・尊重して結果的に日本人の心もとらえたのだと考えています。

なにをいいたいのかというと、日本人にとって外国語を学ぶ、話すということはJY Parkがした行動と一緒で、トライする、学ぶ、発信すること自体が自然とリスペクトとなり、それが相手に伝わるということです。私は動画で見ていませんが、JYPが日本が好きです!日本のためにといっているインタビューがあるのでしょうか?少なくとも私は見ていません。Niji Projectで彼が日本語を学んで使っているという事実しか知りません。流暢か完ぺきか?と言われたら、ほとんどは韓国語を使っているため、そうとは言えないと思います。だけど、それを見て流暢で完璧じゃないからだめだと思ったでしょうか?私は思いませんでした。その行動をみて、リスペクトと努力を感じてむしろ感動しました。

それが海外でなにかをする日本人が、語学を学び、発言することで相手が感じるシンプルな感想だと思います。

私はタイ語、英語を学んで、使うことにより実際にそれを感じたり直面しています。難しいことをいったり自分がリスペクとしていると日本語で一生懸命言う必要はなく、単なる言語を話すだけ、それだけで相手には当たり前に伝わります。前も書いたことですが、自動翻訳があれば、語学の壁がなくなる、相手との距離が言語による壁がなくなり仲良くなれるみたいな論調に否定的だと書きました。私は完ぺきな翻訳よりも不完全な直接的なやりとりが外国人同士の距離を近づけると思います、お互いの歩み寄り、努力が関係を深いものにすると考えています。それは語学だけでなく文化を体験してみるとか、聞いてみるとかそのようなことです。外国人とのコミュニケーションは語学単体で完結するものでなく、生活様式、食べ物含めた文化すべて異なる人との互いの尊重です。

さっきそんな話をしていたので備忘で書いておこうと思った。そんなことを感じる日です

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