Post Truthの時代

プライベートがさらけ出されてしまう時代、個人だけでなく、それは法人にも関係してくると最近は考えるようになってきました。

さらけ出されるというは悪い意味あいではなく、自分がやってきたこと、考えていることがより伝わりやすくなる、表面化するということ。また自分が行動することによりその伝わりは加速するということ、フェイクはできません

誠実に、正直にという当たり前のこと、自由であること、忖度がないこと、に価値が生まれるという時代。当たり前でしょと思っている人、当たり前でないから価値があるんです、正直に誠実に心に正直に従って、ということをできていない人のあまりの多さには辟易とします。人生は短いです、他人を気にして、他人の良いものを求めている間に人生は終わります。

でもやはりいままでの人類の人生はそのような悩みの繰り返しだったのでしょう。哲学を学んでいるとそのふしが見受けられます。

オランダの哲学者スピノザが1900年、いまから100年以上前にとなえた、コナトス・エイドス論はまさにそのまんま。自分の心に正直に従って行動することが大事だといっていますし、ニーチェが唱えた虚無主義、末人、その対比概念の超人も結局は自らを振り返ることが大事だということに収束します。

おもしろいですよね、その重要な自分の時間を奪うために企業は日々行動している現在。この自分の時間を奪うコンテンツに夢中になりながらも結果的に、自分の方向性に悩んだり、虚無主義に陥る消費者。

未来はどこにあるのか?それはデジタル時代を含めた、これからの未来

でも、思想は回帰し、アップデートされていく。そう思います

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