4年半の会社生活から海外放浪へ

 

監査法人トーマツという大手の監査法人、

DeNAという大手のIT企業、2つの大会社を経て現在に至ります。

①大企業⇒②大企業⇒③海外で起業の様なキャリアですが、

①と②の間に3か月間、世界一周旅行に出ていました。

 

仕事をせず、海外から帰ってきた後も半年ほど、ニートの状態でゆっくりして次の仕事

そんな最初の大企業の入社から退職までのストーリーを振り返ろうと思います。

 

3年勉強して無事合格、第一志望の会社、部署に入るも1年で異動願い

 

2005年に試験に合格、就職活動をして、無事第一志望の監査法人トーマツに入所。

当時はわりと入るのが難しくなかったものの、

「絶対に落ちないようにするためにコネを作ろう」

と、先輩を紹介してもらう。

その先輩の部署に憧れる⇒まったくよくわからないけど金融部を志望する。

 

入ってすぐ、部署決めの中で

「おれは最初から金融部に決めている、先輩がいるからだ、

なにをやるかは、、、わからん!」

とかわけのわからないことを言って、金融部に入りました。

 

1年目は地方の銀行を担当。

忙しい時期は、3か月間まるまる出張という感じ。

銀行に対する監査という激堅い仕事をしていました。

 

会社に入ったのは12月(会計士の試験の合格は11月、入所は12月が通常)

会計士の繁忙期は、4月~6月。忙しかった!!

その後は、、、、忙しく、、、ない。。。

 

事務所で悶々とした時間を過ごす中、リクルーターで運命の出会い

 

会計士業界では「事務所勤務」、通称:「事務勤」という日があり、

その日は、会社に行き、自己の勉学に励む、研修を受けるのみという素晴らしく暇な時間があります。

普通の会社だと、

「なに、会社でダラダラしてんだ、そんな暇あったら営業してこいっ!!」

といわれる中、

黙々と知識を蓄えるための勉強をする時間、というのがあるんです。

まー、あまり忙しくない若手だけなんですが。

 

ただ、

「実践で覚えたい!実践をやらせてくれ!」とかなりいきっていた私。

暇に耐えられませんでした。全然勉強しなかった。。

そんなとき、翌年の新卒採用のリクルーター(採用企画、実務)の誘いが。

 

「時間があるのでなんでもやります!」と手を上げました。

そして、映像制作の係になりました。

 

ただ、日中、打ち合わせをしようと同期にいっても

「いやー、日中は仕事があるから夜からにしてくれ」といわれる状態。

 

「えっおれは、暇なんだけどな、、おれ1年目から干されてる?いや部署の関係か」

といやいや自分を納得させる。

 

そんな中、ビデオ制作の際に、IPO支援の部署のカリスマ、Yさんと出会う。

IPO業界では知らない人はいない、有名な方。

「こんなにカッコいい人が会計士でいるのか!」と感動してしまう。

 

早速、メールで

「一度お話ししたいです。」

と連絡してみると

「いいよ!飲み行こうか」と誘っていただく。

 

私の運命を変えたタイミングでした。

 

すっかりその気になった私は、

翌週には

「異動します、IPOやります」

と言い出します。

 

「はっ?お前1年目じゃん、なんで?」

 

「いや、IPOやるんです、死ぬほど仕事するんです、じゃないとやめます」

 

とIPOの意味もわかっていないのに異動を申し出ます。

幸い、にして異動決定。

そして2年目

小島よしおの海パン一発芸でなんとか溶け込む

 

そうこうしているうちに2年目。

ただ、1年目、ほとんど仕事してない。。訳も分からぬまま、仕事。

当然周りの人も突然2年目で異動してきたほぼ新人に手を焼く。

 

そんな中、夏の恒例合宿。

毎年、私が異動した部署は1年目が恒例の出し物をすることになっていました。

劇やら、踊りやらなんやら、なんでもいいからとりあえずやる。

 

おれ一応2年目だ。。去年やってない。。このままだとなんか変な空気になる

と焦った私は、1人で出ることに立候補。

 

別にお調子者でもないし、宴会芸を持っているモノでもないです。

ただやるしかない、

小島よしおの当時はやっていた「そんなの関係ねえ!」ネタを全力でやりました。

 

その結果、

「お前やるじゃあねえか!金融部からきて偉そうにしてるやつかと思ったよ」

「おもしろいな!今度現場に来い」

「あの小島か、がんばれよ」

と温かい視線で見てもらえるようになりました。

 

そこから、約3年半、その部署で過ごします。

大きい会社のクライアントもあれば、従業員10人ほどこれから上場を目指すクライアントまで

正直、最初は全く分からないところからスタートして、

必死に勉強して、理解して、周り、お客様に貢献したいという気持ちでがんばりました。

 

海外出張の機会をもらう、けど。。なんかイメージしてたのと違う。。

 

仕事で海外に出張することもありました。

アジアの国を4か国ほど行きました。

その出張先では、移動はもちろん、実務作業のすべてに日本語の通訳が付きました。

 

考えてみたら当たり前なんですが、

なんか自分のイメージと違う。

 

英語なんてもちろん話せません。

別に話せなくてもいいんだけど。。

このままずっと話せないでいいんだっけ?

そんなギャップに少しずつ悩むようになってきます。

 

THE リアル会計士はこんなにすごい

 

もう一つの理由としては、

会計士の仕事に100%ハマりきれなかったということがありました。

 

というのも会計士というのは法律業。

新しい会計基準を誰よりも理解して、お客様に説明する、

いわば博士的な部分もあります。

 

みな定期的に勉強しており、知識を有しています、普通は。

 

ただ、すごい人は、すごい。

「ねえねえ、あの会計基準昨日出てたけどみた?

あれ予想と違ったよなー、おれはこうくると思ったんだけどねー、

おれは別で意見とか述べてたんだけどこうなるかねー。」

と新しい法律、会計基準が出たときに、

さも新しいゲームが出たような話し方を楽しそうにする人がいるんです。

 

趣味、法律と会計基準について考えること、

仕事とかじゃなくて趣味だから、いつでも法律書を読んでる。。

 

必ずしも、その人たちが超仕事ができる!というわけではないんですが、

すくなくとも監査法人に務めている人はこうあるべきだ、と私は思いました。

 

私はそうはなれない、そう思いました。。

 

別の道は会計士+αしかない

 

会計オンリーの力技では負ける。

 

そう思って私が模索したのが、モヤモヤしていた「英語」でした。

会計士は国内の仕事がメインであるため英語ができる人が非常に少数。

そのためこれが出来ればチャンスがある!そう思い勉強を始めました。

 

それと、

会計士の人は、事業を外から眺めて数字を見るという仕事です。

中に入って仕事をしたいという思いが常にあります。

 

ただ、実際やるとすると面倒くさいだろうし、つらいだろうし、

会計士は評価されるかわからないし、給料下がるし、

様々な理由から実現はなかなかしません。

 

だから、それをしたら、いけるのでは?

会計士+αの英語だけでなく、まだまだ自分の実力が抜かれる可能性があるから

さらにもうひとつで事業会社での仕事で。+もうひとα

 

そう考えました。

まずは英語、仕事を海外でできるかな?

無理でした。。。

優秀な人がじゃないと海外勤務は無理だそうです。

 

なので辞めました。

はいそれだけです。単純ですいません。

ついでに留学でなく、旅行にしたのは様々な国行ってみたいという夢があったからです。

あまりに海外に行ったことがなくて留学先も選べませんでした。

 

結果的にはよかったなと思っています。

そんな4年半。

 

今振り返っても。当時働いていた人たちは超優秀。

自分はひどかったなと思います。

「なんてお前は頭が悪いんだ」

と真顔で言われたこともあります。ぐうのねもでませんでした。

 

ただ、その人たちがいたから危機感をもてて、もがきながら違う道をさぐった。

そんないまがあります。

 

大好きだったトーマツ、なんか思い出話になりましたが、

語っても語り尽くせない思い。

その一端を文で記してみました。

 

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筆者紹介:森場 忠和(もりば ただかず):facebook 

moriba

タイ・バンコクで2013年より会計事務所J-CROWNを経営している公認会計士です!

  • 日本からタイへの進出を考えられている方、すでにタイ進出済みで会計・税務・法律で悩まれている方からの”相談無料”
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