何の気なしに(特段意図せず)アポイントをとった友人の熱い話、語り口をきける

 

自分の興味のあるジャンルをやっている友人になんとなくアポイントをとって会いに行きました。そしたら、そのジャンルに本気、熱い気持ちを持って取り組みまくっている、な、、なんか、、、ラッキー!絡めるかもしれないし、なんかうれしいし。

 

直感的な行動で、縁を気づくことができる、運。

 

いやラッキーです。新しいご縁というよりはもともとの知り合いの人にその縁を再発見という感じ。熱量が高い、真摯に取り組んでいる人の話はとても面白いです。

 

海外とのご縁、その可能性に感謝と未来を感じながら、個人としての能力のトレンドを本をよんで感じてみる

現代の魔術師落合さんの本ですね。前違う動画でも見ましたが(日本になぜ世界的起業家が輩出されないのかというやつ)圧倒的な専門性を磨くことを推奨している。その思考の過程、論拠について書いています。一部に英語(言語)よりも論理的思考能力、圧倒的な専門性を重視すべきという論調。起業家よりも研究ができる大学教授という論調。

後のメモでも出てきますが、最初はクリエイティブクラスという概念について面白いなと思ったけど、世界の量というのか、リアルというのがあまり感じられなかった。あと米国重視みたいな。随所にアメリカの例が出てきます。最先端だと。コンピュータで先行しているのはアメリカ、そもそもベース・スタンダードを作ったし。

全体の大きな論調としては間違ってはいないんだけど、うーん、好みだよね。いいも悪いも感じることがたくさんあります。さっき書いたクリエイティブクラスって言葉もハイパーノマドとそんな変わらないから、人によっていろいろな言葉使うんだね。少しの気づきでも買ったかいがある。感性に訴えてくるから本はやっぱりおもしろい

ちなみにハイパーノマドについてはこっちに書いた。→ハイパーノマドの言葉の意味について

 

これから世界を作る仲間たちへ 落合陽一

たしかにコンサルティングにしろ金融にしろ外資系企業はブランドイメージがよく、給料も高いでしょう。でも、だからといって社会的なステータスが高いとは限らない。10年前ならそうだったかもしれませんし、日本では今でも相変わらずちやほやされるかもしれませんが、すでに米国では、サンフランシスコあたりで活動している若い企業家たちのほうが自立的でかっこいいと思っている人が多いコミュニティもあるのです。それは、起業する人たちがコンピュータで代用できない専門性や、無二のカリスマ性を身につけているからです。誰かのビジネスモデルの上で働く企業のホワイトカラーにはそれがありません。ホワイトカラーは何かを効率よく処理するための歯車です。そして処理能力の高い歯車はいずれコンピュータに居場所を奪われてしまう。だから、今の小中学生が将来コンピュータに駆逐されない自立的な仕事をできるようになるには、なんでも水準以上にこなせるジェネラリストではなく、専門性を持つスペシャリストになることが必要です。

ホワイトカラーに代わるクリエイティブクラスとは

IT化で資本主義のあり方は激変しましたが、そのイチバン根底にある原理は変わっていません。それは誰も持っていないリソースを独占できるものが勝つという原理です。だから株式を握っている資本家は大金持ちになれるし、アラブの石油王も大金持ちになれる。スポーツや芸能の才能も、そういうリソースのひとつでしょう。誰にもまねのできない技術や表現力を持っている人はそれぞれの分野で成功します。しかしコンピュータが発達した今、ホワイトカラー的な処理能力は誰も持っていないリソースにはなりえません。もちろん処理能力が高いほど成功の度合いも高まるでしょうが、その差は全体から見れば誤差の範囲に過ぎないでしょう。誰も持っていないリソースを独占している上のクライストホワイトカラークラスの間には、ものすごく大きな差があるのです。これまでの労働者はホワイトカラーとブルーからの2つのクラスに大別されていました。どちらかというとホワイトカラーのほうが上位におかれたいたわけですが、この区別にはもうあまり意味がありません。たとえば米国の社会学者リチャードフロリダはそれとは別にクリエイティブクラスという新しい階層が存在すると考えました。簡単に言えば、これは創造的専門性をもった知的労働者のことです。現在の資本主義社会ではこのクリ栄ティ具クラスがホワイトカラーの上位に位置している。彼らには知的な独占的リソースがあるので株式や石油などの物理的な資本を持っていなくても資本主義社会で大きな成功をおさめることができるのです。また同じく米国の経済学者であるレスターサローは知的資本主義という著書の中でこれからの資本主義は暗黙地が重視される世界になると訴えています。知識資本主義の社会では知識が資本になるわけですが、それはどんな知識でもいいというわけではありません。誰もが共有できるマニュアルのような形式知は、勝つためのリソースにはならない。誰も盗むことのできない知識、すなわち暗黙地を持つものが、それを自らの資本として戦うことができるのです。フロリダとサローの考えをあわせると、これからは専門的な暗黙知を持つクリエイティブクラスを目指すべきだということになるでしょう。

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