あーやっぱりそうなんだ田中靖浩2018

田中先生の活動、日々の行動が面白いなと思っってます。ご縁をいただき何度かお会いしていますが、勢いがあるなと思います。著書も全て読んでいます。今までの著書であったのかはわかりませんが、現在書いているコラムセカンドキャリアの進め、共感と戒めをとても感じてグッときてます。今の自分の迷いと全ての答えが下記に凝縮されている気がしました。だから田中先生に憧れ、近づこうとしているんだなと。根本が近い人間なんだなと。

気づく人、感じる人は多いと思います、特に同じ公認会計士なら、ただ、、行動できる人はほんの一握り、いや一粒です。実力でなく思いで変わるからこそその一粒になりたい。心からそう思います。

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■資格を「おまけ」にする生き方

会計士という「資格」を持て余していた私は、この日の出来事によってハッと目が覚めました。「会計士という資格を『おまけ』にすればいいんだ」と気付いたのです。

「公認会計士です」ではなく、「公認会計士も持ってます」と言える自分へ。こう書くと同じに見えますが、これは全く違います。会計士として仕事を突き詰めるのではなく、田中靖浩個人として仕事を突き詰めていこう。そのうえで「会計士も持っています」と付け加えることができれば、意外に強いぞ。こう考えたのです。

自分の仕事を固めたうえで、その「おまけ」として会計を位置づければ相当強力な武器になります。会計を必要としない会社・組織など世の中にありませんから。しかし、会計を「本業」に位置づけてしまうと、堅苦しくて嫌われることが多くなります。しかも最近はコンピューター、AI(人工知能)と競合関係になってしまうことも多くなってきました。

「専門性をおまけにする」。これに気づいて私は自由になりました。やっと未来への視界が開け、「自分という職業」を生きていく決意が固まりました。それが苦難の道なのは承知ですが、20歳代だった私は何となくワクワクしました。

「会計を捨てる」ということではありません。それはしっかり勉強します。ただ、あくまで主人公は自分であり、資格や知識は「おまけ」だということです。まずは商売人として自分の足でしっかり立つこと。それがあってはじめて、資格という武器が生きるのです。

これは私だけの話ではなく、資格を目指す多くの人にとって、「専門性をおまけにできるか?」は「資格取得後の成功」の分かれ道になっている気がします。会計士であれ、弁護士であれ、医者であれ、ビジネスも人生も「うまくやっている人」というのは、その資格以前に「人として」魅力的です。彼らは決して資格に寄り掛かりすぎることなく生きています。そんな人たちと出会うたびに「見習いたい」と思うのです。

■資格に寄りかかりすぎないで生きよう

私自身、専門学校で講師をつとめた経験がありますが、受験者たちには「合格・不合格」しか見えていません。しかし、「幸せ・不幸せ」は必ずしもそれとは一致しないのです。

合格して不幸になるケースもあれば、不合格だけど幸せになるケースもあり得ます。講師の立場からは、試験の結果はともかく幸せになりなさいよ、と言うしかないわけですが、気をつけたいのは「合格しても不幸せ」というケースです。私自身がそうだったので、よくわかるのですが、合格したことによって「その仕事をするしかない」と視野狭さくに陥ってしまい、自分自身の夢や希望を見失ってしまう――。そんな人が意外に多いのです。

せっかく勉強して取った資格に縛られるのはもったいない。そんな「資格のしっぽ」に縛られるのはやめましょう。

資格は人生を切りひらく武器にもなるし、ときに人生を邪魔する地雷にもなります。会社を辞めても仕事ができるよう、難関資格を目指す人がこの国にはたくさんいます。そんな皆さん、資格に寄りかかりすぎてはだめです。ぜひ資格を味方に、自由多き人生を選び取ってください。


この20年ほどの間に、独立開業そのものは本当にしやすくなりました。なぜなら、ちっぽけな個人でも仕事が取れる環境が整ったからです。その変化をもたらした最大の要因はやはりインターネットです。ネットを通じて意見を発信し、独立した仲間とネットワークを組むことができ、またお客さんと直接やりとりすることができるようになりました。これは本当に革命的な変化だったように思います。

私自身、大組織からの独立組ですが、独立当初はインターネットがなかったこともあり、仕事のほとんどはエージェントやその他の紹介によるものでした。それが今や多くの仕事依頼がメールやネットを通じてやってきます。

ただし、あくまで「独立しやすい」環境が整ったというだけの話で、それを仕事に結びつけられるかどうかは本人の実力次第。仕事を増やすためには専門的な能力を磨き、コミュニケーション能力も高めないといけません。最近の傾向としては、後者(コミュニケーション能力)の重要性がどんどん高まってきているように思います。

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併せて、その同じテーマのコラムの中で、阪本先生も書いています。田中先生とコラボしていることもあり、阪本先生の本も全て読んでいます。これまた自分の経験の記載が。仕事の関する取り組みで胸が熱くなりました。阪本先生はもちろん同様に大好きなのですがバックボーンが田中先生の方が似ていることから、田中先生経由で入ってくる方がいいようです。ただ、いつかお会いしたい、そう思います。(思いが高まれば阪本先生がトムピーターズに会いに行ったみたいに簡単に会いに行こう)

 

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■自分の仕事を愛しているだろうか?

クレアは従業員のポジションでありながら、独立自営のオーラをまとっていました。それは、彼女の仕事への姿勢が「生み出す」という言葉ににじみ出ていました。もちろん、厳しいシリコンバレーの地で、「生み出す」ことなしに給与だけをもらえるようなことはなかったのでしょう。

自分は仕事を「生み出す」より「処理」してきただけなのではないか?

帰途の飛行機で「自分は何を生み出せるのだろう?」と自問しました。入社して17年、「仕事ができる」という自負はありましたが、その「仕事」って、何だったのだろう? 「処理を上手にできる」だけなのではないのか? 同じ旅で出会った、シリコンバレーで活躍するベンチャー起業家との会話を思い出しながら、自分を振り返ってみると、「生み出す」より「処理する」ことに偏っているような気がしてなりませんでした。考えがまとまらないまま、ジムからもらった本を読んでいると、次のようなフレーズに出会いました。

「あなたは自分の仕事を愛しているだろうか? 人生の他の何よりも一番に愛していると言えるだろうか? もしノーなら、仕事を変えたほうがいい」――。そして、医者の仕事より、ガールズキャンプの設立を優先した女性医師の事例が続いていました。その文章にジムがつけたタイトルは「Stay in love(愛にとどまれ)」。仕事に関することで、loveなんて言葉を使ったことはそれまでありませんでした。

入社以来、ヘーベルの営業をやってきて、充実した仕事人生を送ってきた。しかし、その仕事を愛していると言えるのか? 人生の優先順位で一番に置くほど? 仕事と人生は交わっていたのか? そもそも交わるものなのか? こんな発想はしたことがなかったのです。

むしろオンとオフは明確に分けたい性分でした。年末になると、翌年の手帳を広げ、土日・祝祭日をラインマーカーで塗り、「色のついた日々はオフだ。自由に使うぞ!」と意気込んでいたぐらいです。その前年から始めていたビジネススクールの講師などの副業はオフ、週末にこなしていました。

では、それらの副業を愛していたのか? これも「愛している」というほどのものではなかったと思います。

■仕事と人生を重ね合わせる

帰国後に交わしたメールの中で、ジムはかつて仕事に熱中するあまり、家族を顧みなかったことや、奥様を病気で亡くしてしまったことといったプライベートな体験を語り、「仕事も大事だが、人生で手放してはいけないものは何なのか、よく見極めることが重要だよ」とアドバイスしてくれました。

このとき、「仕事を処理する」と「生み出す」と「仕事を愛する」の三つがバチンと一つになりました。

仕事を処理しているうちは、仕事と自分の人生との間にスキマがあります。仕事を対象物として扱っているわけですから。しかし、人生において大事なものや愛するもの――もちろんその中には家族が入ってきます――について考えたとき、仕事は自分の生き方やあり方から生み出すものになります。人生と仕事が重なってきます。

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