2PMのI’ll be backを聞きながら、また違う思いが生じたのでメモ

ダンスすごいな、ダンスを見るのが好き、大学生のときほんの少しだけダンスをしていたけど、なんだろう?やるよりも見るのがそのときから好きだった。ダパンプのダンス番組とかやたら見てた。ダンサーに対しては自分にはできないことというので憧れがある。

とダンスの話を書きたかったわけではなく、そのダンスということ、体を使って表現をすることが好き、無意識でできる、人に見せたい又は見せると快感ということがNiji Projectの動画を見ていても、16-18歳の少女が言っているんですよね、というかもう10歳になる前から興味があってそれをやっている人がほとんど。教育とかそんな話でなく、表現方法としての興味と注力。

スポットライトの当たる演者はとても魅力的に見えます、歌やダンスで自分を表現する姿はとても派手で格好いいです、憧れる人も多いと思います。自分もそう思いながらここ何日かは夢中でyoutubeを見ていました。

ただ、また文を書いていると、表現方法って、自分の内側、情熱、感情を出していくものだとしたら、自分は文に書いたり、話したりしてあらわすことが好きなんだなと思いました。ちょっと前アーティスト、歌を歌う人のことを考えているときに、私が見たアーティストたちは、自分の思い、伝えられないもの、話せないものを音楽の表現に乗せていると話していました。いいなと思いましたが感覚的には理解できませんでした。そもそもそこまでの熱で音楽を考えたことがありませんでした。

でも、本ならわかる。その人の情熱を受け取ったり、深い思考を受け取ったり、その人のつらかったこと、うれしかったことを、文字・その人独特の表現を見ることで想像したり共感したりすることが私はできます。そしてそれをすることが好きです。お会いしたことがない著者の方でもファンの方はたくさんいます。その人と友達になった気になります。学んだり、感動させてもらって感謝している著者の方もたくさんいます。その言葉を頭に記憶させて、人生の大事な時にその言葉を思い出したり、つぶやいたりすることで人生がよくなったこともたくさんあります。

昨日、コーチの人と話している際に、最近私が趣味でブログを書いているのを見たけど、たくさん書いててびっくりしたといわれました。

思いついたこと、頭の中を文字というペンで描いているだけなので、なにも無理はしていないのですが、この頭の中を吐き出す行為、書きだすという行為が、ひとつの表現なのかな?となんの無理もなく、なんのためでもなく、ただ自分の快楽、整理と心持ちを保つために書いているこの行為が得意なんだな

そういう特質なんだなと改めて思ってみたり。

ちょっと前に”足るを知る”ということをテーマに自分なりに文を書きましたが、もうすこし自分らしいポジティブな言葉で何度も何度もそれを意識したほうがいいような感じがしてきました。

うーん。ちょっと思案、

心の謙虚、自分自身が常に足りないと思って、隣にいる人の短所を見ないで、長所だけをみて心から感謝すること(Nigi project JY Park JYPの価値観)

うーん美しすぎる、もう少しくだいて

自分だけの才能を自分が一番大事にする、自分ができる当たり前は人の当たり前じゃない

自分自身を見つめて、それ”で”じゃなくて、それ”が”いいんだよといってあげる

人に憧れる、できないことに憧れる、できないことを努力してできるようにするというのは美徳のように聞こえるが、使命とか、天命とかそんな話じゃなくて、努力論、根性論、無謀な変化論は、自分を迷わすなら断ち切る

何度も書くということはそれだけ迷わされてきたんだなと。

バンコクにきて、また心の動きがある。やっぱり場所を変えるのって大事

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