何にそのとき無意識に時間を使ったのかを振り返る

先日からずっとNijiUにはまっているのですが、ダンス見るのが楽しいです。すごいダンスに時間を使っているからすごいなと思うとともに、当時はやりたい、やるしかないから意識的に時間を使っていると思うのですが、結果的には人よりはるかに長い時間を無意識に使っているのだなと感じました。

翻って自分は人よりも多くの文字を読んできました。それは勉強、暗記というともすれば単純でつまらない、くだらないと断罪できるものかもしれませんが、意識的に当時していた自分はやるべきという気持ちがつよく気づきませんでした。また無意識にいままで、それがやれたことであり、またなにも苦ではないものでした、いまになっては文字を理解することが人よりもできるため、むしろ楽、楽しいものになっています。

文字を書いてもらうことでその人の思考、感情を理解することができます。書いているその人よりも、書くという立場、見るという立場ではるかに多くの時間を”無意識”に多く経験してきたからです。

会計士の試験のときもそうでした。ただの試験ですよね?やらなくてはいけないから膨大な法律と資料を読みました、いま思えばそうですが、当時の私は理解することこそ大変であれ、読むという行為にあまり苦痛はありませんでした。

仕事が始まってもそうでした。主には法律ですね。会計基準もそうです。文字を読むことは非常に多かったです。文字を書くこと、思考を人に見てもらう、人に理解してもらうために、感情表現でなく、話でなく、文字だけで伝える必要がありました。

それが当たり前だったので、すごい、すごくないとかではなくて、とにかくそれに長い時間を費やしました。なので、その経験がためになっているというよりは、好きです。楽しいです。できるから。

そんなことを思いました。こんなつらつらと文字を書いていることも楽しいです。

時間をつかう、人よりできる、ということは人と比較しないとわかりません、競争でなくこの力を人に使って貢献することで初めてオリジナルティと自分のユニークさがわかったりします。文字を書く中でそんなことを思います

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