タイ最古の華僑財閥と言われるカシコン銀行!
街で見かける「緑のK」の銀行の2回目をお送りします。

(2)財閥の成長
1940年代にラムサム家は、銀行・生保の他に倉庫、海運、貿易、ゴム輸出、損保と次々に事業を拡大。
その結果、1950年代末にはタイで一、二を争う最大の財閥に成長します。その地位と豊富な財力を活かして、この時期は他の複数の財閥の黎明期に投資家として資金提供しています。1960年代は欧米企業との合弁で積極的に製造業に進出し、今なお活躍する企業をグループの産業基盤に取り込んでいました。また、グループの商社機能を担うロックスレー社もこの時代に躍進します。元はイギリスの商社と組んで設立したコメ輸出会社でしたが、その後ヨーロッパからの機械輸入に転換していました。四代目バンチャーの妹チャチャニーが社長に就任した後は、産業用機械やコンピュータの輸入に始まり、軍に納入する航空機と武器の輸入を引き受けたことで急拡大することになりました。

1970年代には金融コングロマリットとして大きく成長します。
銀行設立者の三代目が早逝したと前回のコーナーでも記載しましたが、その後は弟が社長職を引き継いでいました。がなんと、その弟も急な飛行機事故で亡くなり、ムアンタイ生命保険を経営していた四代目のバンチャーが跡を継ぐことに。当時のカシコン銀行の経営規模は地場系商業銀行では7位。預金規模はバンコク銀行やアユタヤ銀行
(現・三菱UFJ銀行傘下)などから大きく遅れをとっていました。1962年に跡を継いだバンチャーは、アメリカの大学で近代経営学を学んだ経験をもとに、銀行経営専門家の育成と、近代監査制度の導入に重点を置きました。若手スタッフをアメリカに派遣しMBAを取得させる制度も導入し、20年間で40人以上のMBA取得者を生み出して
中堅社員の厚みを支えました。会計監査制度を強化して融資基準の見直しを図り、海外拠点も広げて1980年代には全国シェア15%を占めるまでに成長しました。

四代目の経営手腕、すごいですね。。。次回は(3)財閥の現在 についてお送りします。

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