物事が起こった時、なぜそれが起こったのかを考えるのがタイの会計の人は苦手?
私の経験の範囲内で語ります。なのですべてという定義ないということにしてください。なにか、問題が起こった時、なにか、わからないことが起こった時。
なぜ?それが起こったのかということが当たり前だけど気になります。「お客様に関係する際、説明するため」「次回同じような事態が起こらないようにするため」
ただ、スタッフと話していたり、お客様のスタッフに聞いても「○○が起こった」ということだけが話されて、「なぜ?どういう事実があって、それがどうなったの?」ということを聞くと、面倒くさそうにされます。わからないことを役所に聞いてもらったりする場合も「こう言ってた」という報告のみ。「なぜ?」ときくと、「いや、わからないけどそう言ってた」と言われます。
いや、よくありますよ。スタッフでは。とかじゃなくて。同じ公認会計士相手でもあるのでわざわざ書いてるんです
監査をしてもらい、誤っている内容について指摘、修正をタイの公認会計士にしてもらいます。
修正された数字が報告されます。
もちろん修正しているからには修正の内容、その理由(根拠)があるはずです。当たり前ですがw
説明がされません・・・
「なぜ?」ときくと。「いや、まーそこらへんはいいじゃん、あってるよ。まーおれがあってるっていってるから大丈夫。修正しといたから」みたいなやりとりがあったりします。
お客様を引き継ぐとき、過去のものを聞くときも。。
アカウンタビリティ(説明責任)というのがあまり重要視されていない、てか日本人が超重要視する・・
これは仕組み化、見える化、アウトプットによる可視化とも関係してきますが、そのような部分があるようです。昨日も書きましたが、できないというよりは日本人が超重要視している部分についてあまり重要視してない、極点に言えば興味がないというのが事実。(興味があって日本人より優れている部分が他にあるから)
民族的に何とかとかいうためではありません。ギャップを日本人が理解しないと進まない。昨日と同じ理由です。それと、「この業務を補助すること、ここでいうと”なぜに応える”、”説明責任を持つ”」ということが日本人がやるべきことであり価値であるということです。当たり前にできないことを補完するそのため、日本人がいる価値があります。
外国での文化の差分、食文化、価値観等仕事に関係しない部分は日本化はする必要はなく、また受け入れるべきです、ただ、仕事で譲れない点、昨日話した段取り、説明責任を負ってもらう、なぜに応えてもらう。その重要な軸について、適切に日本人を使い、事業を推し進めていく、成功に導いてゆく。そんな決定が日々必要になっていくということです。ここ海外では。必要な部分だけ必要なサービスを使えばいいという意味です。翻訳とかと一緒。
当たり前だけど住んでいないとわからない。みんな思っているけど言葉にするのはしずらい、そんな文化、ギャップを言語にして、海外で挑戦する日系企業を応援したい、ハブになりたい。そんな思いで仕事に邁進しています。