全く新しいこと、ものより、突き詰めていないもの、新しい視点が入っていないものをやるのが楽しい
と個人的には思います。最近切に思うんですよね。モノ・サービスもそうだし、場所もそう。いまはバンコクにいますが、ちょうどいい。アフリカ、とかなんでもできるよ!みたいな話ありますけど個人的にはそのステージあまり興味ない。見たいけど、本腰入れて、この人生かけてという意味ではね。2016年現在の感覚だから変わるかもだけど。
なので、「これをやろうと思うんだ」という話をすると
たいがい、
「あー知ってるけど、それやるんだ、うまくいく?」
とか
「あー、知り合いでやってみてる人いるよ。あんま身入ってないみたいだけど」
みたいなことを言われたりします。
だから全く新しいことなんてやらないし、やる気もないし、興味ないから
知っているに決まってるんです。
誰かやろうとしてるに決まってるんです、そんなの知ってます
だけど、圧倒的に成功している人、圧倒的に努力している人がいないからわざわざやろうとしてるんです。暗に誰かがやっていてうまくいっていないからっていう会話って意味ないでしょ。
「圧倒的に、徹底的に努力すれば何とかなる」という感覚を、興味を持ったジャンル、コトでは思います。どんなことでも。絶対だめだなと思うのはスポーツとか運動系、音楽系とかぐらいかな。それすらもやる人いるけど自分はやらない。ただ、興味でないことが多いけどね。。
新しいという感覚は、場所により異なる。ただ、新しい挑戦をはばまない空気を作ろう
といつも人の話を聞くと思います。何度も言うけど新しいことなんて基本ないんだけど、国が変わり、文化が変わるとそんなことが起こったりもします。なので、日本だとそれ当たり前じゃん、ということが海外では超新しい!ということになるんです。なので、その人が考えた、新しい、おもしろい!本気で取り組みたい!というイメージ、企画の話はいつも注意して、楽しく聞こうと考えています。
それ当たり前じゃん!
なんで?なにを前提に?なにをバックデータに?
と真面目な話になればそんな話になります。
のめりこんでいる人がそれを、そうじゃないと説明できるならそうでいいじゃないですか。知らない人が自分の常識の知ってるとか周りの人がちょっとやってるとかいう基準で新しくないとかいって芽を摘む権利はないです。
とか思ってみたり!
バンコクはまだまだ新しい気付きがあります。
場所が変わると人生が変わる。日々ワクワクしながら、興奮しながら、ときに壁にぶち当たりながら、新しいワクワクを求めた自分の最初の感情を大事にしながら、日々の生活に慣れながらも、感謝と興奮の毎日を送りながら、日々考えています。