最近、昔からの言葉、について改めて考えさせられることがあります。そうそう、と共感してみたり、昔も今も変わらないんだなということ。

テクノロジーが進化して変わるものは変わる。変わったものを受け入れないで否定するのは愚の骨頂。ただ、理解して自分は使わないという選択肢はあり、その理解の具合が、日常的に使っている人と同じぐらいなら、そういう意味では使ってみて、やめるぐらいがちょうどいい。体験しないと知っているとは言えないのでは、と思ってみたり。

 

最近自分に振り返る言葉といえば

・案ずるより生むが易し→とりあえずやってみようと思う、いつもそうなんだけど

・継続は力なり→とりあえずやってみたことも継続してみれば、何か見えるでしょう

 

タイ生活も、このブログもそうだった。何か見えたか?まー、理解できたということ、すばらしい何かか?いや明確には言えるかは微妙だけど、人とは違う何かを取れている。きっとそれは継続がなせる力なのであろう。そんなファジーな部分が変わらないところ。

 

リアルが重要視されてきた時代。

ただ、新しい体験を自ら飛び込み、やろうとする人は増えるか?

そこはその人次第なので変わらないでしょ、と思う。そんな時代

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