元プロサッカー選手の中田英寿さんが“実業家”として「第二の人生」を踏み出す――

 

中田の意志の固さ、情熱を感じる文。1つのものを極めた人は方向を見つけて集中すると徹底的にやるので強い。最近歴史、文化の勉強をしているが、外国にいて初めてそのような日本を客観的に見る、考えることが出来ている。日本文化はすばらしいし、中田の活動は非常に共感できる。

 

 初の事業会社「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」(本社・東京)を設立して社長に就任し、酒や工芸など日本文化の本格的なPR活動に乗り出した。「人生をかけてもいいというものがようやく見つかった。これは一生続けていくライフワーク。今後はプロとして仕事に取り組みたい」と意気込みを語る。

■日本文化の世界発信へ事業会社、「プロとして取り組む」

中田さんは2006年のW杯ドイツ大会後にサッカーを引退してから、「サッカーに代わって情熱を注ぎ込めるもの」を探して世界各地を放浪し、09年からは日本国内の食文化や工芸など伝統文化の担い手を訪ね歩いてきた。ようやくたどり着いたのが「日本の食文化やものづくりを世界に広める」という新しい夢だ。

■会社設立の狙いは継続・ビジネス、「第二の人生」見つけるのに10年

「文化を伝えたり、作ったりするのはすぐにはできない。時間がかかるもの。僕が会社を設立したのは、単発では終わらせずに継続して取り組みたかったから。ビジネスとして成り立たせる仕組みを作りたい。でも単なるお金もうけが目的ではない」。自らの事業会社を立ち上げた狙いについてこう語る。

「僕は漫画『キャプテン翼』の影響で8歳からサッカーを始め、18歳から11年間はプロ選手としてサッカーをしてきた。なぜなら熱い情熱をそこに感じてこれたから。第二の人生もスタンスはまったく同じ。サッカーと変わらない情熱を感じている。サッカーを辞めて以来、次に取り組む人生がなかなか見つからなかったが、10年かかってようやくその出発点に立つことができた」。中田さんにとっては人生の大きな節目を迎えたことになる。

 

ものに対するリスペクトと、見せ方というセンスでやれることはまだまだある

 

素晴らしいものは多いんですよ。ただ、伝え方がいまいち。他の国の人には特に言語、背景含めてわからないことが多すぎる。宝という表現は素敵

 

■衰退する日本の「宝」を救え、「目利き」と「代理店」の機能を請け負う

きっかけは09年から始めた日本国内の旅だった。サッカーを辞めて世界を放浪したとき、自分が日本のことを知らないことに気づき、全国の食文化やものづくりの現場を回り始めた。養豚場、かつお節、有田焼・唐津焼、微生物農法、旅館、紬(つむぎ)織り、温泉、盆栽、手すき和紙、豆味噌……。全国47都道府県を南の沖縄から順次巡回し、そこで伝統文化が衰退していく現実を目の当たりにする。

「食文化や農業、ものづくりの現場を見たときには、日本の『宝』を見つけたと思った。でもせっかく素晴らしいものを作っているのに、PRが下手だったり、海外や時代のニーズをつかめなかったりして、衰退を余儀なくされている。それなら、作り手の情報を消費者や市場に発信すれば、市場がうまく育ち、ビジネスとして成り立つのではないか。そうすれば、多くの人が幸せになれる。それが自分ができることではないかと感じた」。「第二の人生」を見つけた瞬間をこう振り返る。

「目利き」として自分の感性や勘を頼りに文化を選び、「代理店」として作り手の情報を市場に発信し、作り手と消費者をつなぐ――。これらの機能を中田さん自身が請け負うという発想だ。

「和食が世界でこれだけ評価されているのに、日本酒の文化はまだ知られていないし、確立もされていない。なんとかできないものか……」。中田さんは日本国内に1000以上の蔵元があるなかから約250の酒蔵を自分の足で巡り歩き、酒造りを体験し、基礎知識を学んだ。材料になる米作りの現場にまで足を伸ばしたという。

明確なビジョンと、愚直な目標。応援したい

 

■日本文化の伝道師、「世界に広がり、定着すれば僕の勝ち」

1年のうちの4~5カ月程度は海外で生活。日本にいても地方に行っていることが多く、東京に滞在している時間はそれほど多くないそうだ。「いまでは多くの時間を日本文化発信のために費やしている。特定の場所に使わない家があっても意味がないので、買ってもいないし、借りてもいない。だから、ずっとホテル暮らしを続けている」という。

最後に中田さんはこう強調してインタビューを締めくくった。

「イタリアのセリエAや英国のプレミアリーグでプレーするなど、僕はサッカーでもいつも世界を目指してきた。設立した会社でも同じように世界を目標に据えたい。10年後、20年後に日本酒の文化がワインのように世界に広がり、定着できたらすばらしいこと。そうなったら僕の勝ち。それが僕の夢であり、目標でもある」

今後は日本文化の伝道師として、世界を相手にサッカーに負けないくらい熱い情熱を注ぎ込む覚悟だという。

アイキャッチ画像 参照記事:「第二の人生」へ実業家デビュー、中田英寿氏に聞く

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