読んでいる本・引用している箇所を見ると思わず買いたくなる、読みたくなる。そんな思考の経験が似ている人と話がしたい

 

1年半先を行く ソーシャルメディア・マーケティングの記事を書いている夏目力さんが好きです。

文の書き方、引用のしかた、サイトで使われている絵のデザイン(デザイナーに書いてもらったそうです)も好き

 

facebookで記事自体はかなり有名なのでみなさんどこかで見たことがあると思いますが、当の著者、「夏目力」と検索すると意外と取り上げている人は少ないんですよね。まー、そんな感じ。

 

バックボーン、同じ経験で共通トークはあるけど。好きな思考、好きな著者、好きな本でのトークも面白い

 

要は趣味と一緒なんですけどね。スポーツとかなんとか。好きな小説家が一緒とかもあるのかな?私は小説あんまみないのであれなんですが。引用して記事を書いているのって個人的には好きです。同じ本の中でその部分引用するんだ、おれそこ全然記憶ないな、ってときもあったりして、本にも膨大な情報量があって、どの部分をピックアップするのかでセンスが見える。

 

 文を読むとその人にリンクして、楽しくなったり、へこんだりするくらい文から影響を受けます

 

気持ちとか考えを書いた文とかは特に。その人がどう考えていて、どのようなテンションで、どのような意識で書いているかということが文からにじみ出て体に入ってくる。なので、文を読むことでその人が好き、あんま得意じゃないということがある程度感じるんですよね。「文はある意味露出した脳」なのではないかなと(いまこの表現思いつきました)

 

ということで、日々、本をむさぼり読む毎日。多くの本とのふれあい、出会いにテンションが上がります。振り返ると、子供の時から本が大好き、家に帰るとすでに定年している父親は朝から晩まで本を読んでる。家系か?まーそんな感じ。

夏目力のmedium見てたら、日本文化への変わった角度からの考察があったので引用してみる

 

個性的な街には、「サブカルチャー」や「カウンターカルチャー」という言葉がよく似合いますが、高円寺にある独特の文化は明治以降、中野駅北口に設置された陸軍学校への反抗から生まれたものだと言われており、あの高円寺のユルい感じや、中央線沿いのカルチャーもまた、様々な要因が重なって生まれたものでした。高円寺は、自由で開放的な下北沢に比べて、少し暗いイメージがありますが、高円寺はこの暗さからフォークやブルースなどの音楽が生まれ、古本に囲まれながら酒を飲むという暗い奇妙な文化も、この街に浸透していきました。

どんな人でも、自分の欲や性癖を満たさなければ生きていけず、昔の「村」には、食欲や性欲などを垂れ流しにできる「土」があったため、人々が暮らしていけましたが、戦後の日本は地面がすべてコンクリートで固められてしまったため、欲望を吐き出す場所がなくなってしまいました。そういった意味で、街が発展し、テクノロジーも最先端をいっているのに、「萌え」やアニメなど人間の欲求が抑えられることなく発揮されている秋葉原は、ある意味、東京で一番自然な街なのではないでしょうか。

建築家の隈研吾さんとジャーナリストの清野由美さんは「新・ムラ論TOKYO」という本の中で、成功する街の定義を人が存在する価値が“エコノミー”ではなく、“ライフ”に戻り、「都会でバブルチックな生活を一度経験したすれっからしの人たちが、次に居場所にしてもいい、 と思える場所」のことだと述べていますが、下北沢の自由や開放感、高円寺のダークな雰囲気、そして秋葉原の欲望などは合理的な都市開発に違和感を感じた人が、自然と足を運べる街の形態を今も維持し続けているのでしょう。

 

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